ぐらぐら揺さぶる

1月16日の日記です。
中前結花 2026.01.17
誰でも

ずいぶん早起きをした。ベランダに出ると、やっぱり気持ちがいい。
今日の予定と紙の日記だけを簡単に書いて、急いで支度をする。山手線が「停電」で止まっていたために、遠回りすることになってしまったのだ。

やって来たのは明治神宮だった。
初詣は夫と近くの神社に出かけるけれど、毎年1月のうちに明治神宮にはひとりで挨拶に来ている。伝えたいお礼もお願いもあるものだから、なるべく早く来たかった。
清々しい気候で、訪れるのにはちょうど良かった。冬でも木々が青々としていて、堂々とした鳥居の佇まいが好きだ。参拝も祈願も済ませて広い道を歩いていると、心地よい気持ちに包まれて足取りも軽くなってくる。

ここへ来ると、いつも「杜のテラス」というカフェにも立ち寄ることにしている。鳥居を見ながら、大好きないちごたっぷりのタルトを食べることができる、贅沢な贅沢な空間なのだ。
また昨日悩んでした原稿に手をつけ、そして次の書き下ろしの構想を練る。
これまで、『「書き下ろし」よりも「書き直し」が好きだ」と自著や取材や対談で、何度も何度も話してきたけれど、このところはどちらも同じぐらいしんどいし、どちらも同じぐらいたのしい。

所用で渋谷に寄ったものだから、週末に見つけて悩んでいたピアスをやっぱり買ってしまった。「出会い」だと言い聞かせる。心地よい日に迎え入れた「大事なピアス」ということにしておく。また次の本や、次の次の本のプロモーションのときにも役立てば、それでいい。
次の予定のためにもう1度移動し、また別の駅のサンマルクで今度は書き下ろしの途中原稿に取り掛かった。「なんか違うんだよなあ」と悩みつつ、ところどころでやっぱり涙を滲ませながら。ぎゅっと我慢しながら書き続けた。「今が幸せであれば、泣いたりなんかしないのでは?」という声も頂いたけれど、この世でいちばん大切な(今でもそう思っている)人を亡くして、そのことについて深く深く向き合って、面影を思い出しながら、心の奥底からひとつひとつ言葉を拾って文章を紡いでいくのだから、涙がこぼれるのは仕方がないんじゃないかとわたしはわたしを許している。わたしが書いた本を読んでくれている人にはきっとわかってもらえると思うけれど。

クタクタになりながらも、なんとも清らかな。「祈祷御守護」などとともに神聖な気持ちで自宅に帰ると、夫に、
「ねえ、『ラブ上等』の続きを観ない?」
と誘われた。Netflixで配信されている、ヤンキーの男女たちが血の気たっぷりに繰り広げる純愛リアリティショーである。そんな気分ではなかったけれど、じゃあどんな気分のときに観るものなのかと問われれば難しい番組だ。仕事柄、夫もわたしも「一定以上の話題を集めているコンテンツ」というのには、なるべく触れるようにしていて(特に夫は仕事に差し障る)、何気なく観始めたのだけれど、これがなかなかクセになる番組で、夫やわたしにはない「血の気」というものに魅せられている。こんなに素直に剥き出せたなら、と思うのだ。けれども決して荒らしさだけじゃない。そしてスタジオのコメントが、しっかりと「解説」にもなっていて、続きを「どう見れば良いか」をそれとなしに示唆してくれる。その様子に、毎度ふたりで「素晴らしいなあ」と唸っているのだ。
「じゃあ、1話だけ見よう」
と言って、結局3話見た。虜じゃないか。


清澄な朝。ヤンキーたちに心を乱される夜。好きなものを買って、泣きながら原稿を書いて、いくつもの街をこの足で歩き回って。この上なく「生きている」という心地のする1日だった。
友からは「心、揺さぶってるねえ!」と言われた。自分の心を揺さぶるのも、きっと仕事のひとつなんだろうなあと思う。週末はきっと、また『ラブ上等』を何話か観るだろう。揺さぶってるねえ!

※これはエッセイではなく、あくまで紙に書いているつもりの「日記」です。

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