生きていくんだ
今日から仕事初め。
年末年始はたっぷりと休んでしまったことだし、気合いを入れてやっていかねば。
けれども、ふと水切りかごに目をやると、やはりなんとも言えず切なくなる。ああ、本当にお正月は終わったのだ。もう戻ってこないのだ。このあとお重を箱に詰めて、閉じ込めて。また1年後のお正月まで、その蓋を開くことはない。
そう思うと、悲しみと同じぐらい、気が遠くなる思いがする。ああ、終わってしまった。
とはいえ、過ぎたことばかりを嘆いていても仕方ない。また今年も頑張らなければいけないのだ。今日からはまた新しい執筆に取り組む。
……と、そのつもりだったのだけれど、新年のご挨拶やその他のやり取りのメールを繰り返しているうちに、なんだかズンと胸が重苦しくなってしまった。たとえば、非常に忙しなく過ごしていた昨年の秋に、「なんとか」とご依頼をいただいて、急遽、かなり無理をして書き上げた原稿があったのだけれど、さまざまな事情が重なり、掲載を見送らせてもらうことにした。原稿を引き上げることとなったのだ。もちろん、わたしにも不足が大いにある。こういったことははじめての経験だったものだから、そのやり取りだけで、新年早々ちょっと心が塞いでしまったのだった。またその他にも同様に、なんとも心に負担のかかるやり取りが重なることになり、原稿に向き合えた時間はほんの僅か。あまり明るくない幕開けになってしまった。猛反省だ。
体の健康はもちろんのこと、今年は「心」ももっと丈夫にしていかなければいけないなあと、強く強く思う。些細なことで気に病んでしまう質である。この性分でずっとずっと生きてきたものだから、急には変われないかもしれないけれど、それが仕事に障ってしまうと、やはり良くない。なんでも「よく憶えていますね!」と驚かれるほど記憶してしまう質でもあるから、余計に困ったものなのだけれど、嫌なこと、つらかったことは、頭の中でボッと燃やして前に進んでいきたいと思う。焼却炉にポーンッと放り込む! どんなときも、負の記憶に支配されてしまってはいけないのだ。
けれども「初日はつらかろう」「想定外のことも起こるだろう」と予測して、非常にゆるいスケジュールを組んでいたことは、功を奏した。年末のわたしを、わたしは褒めたい。「初日は危ないぞ!」と心のどこかできっとわかっていたのだ。なあんだ、やるじゃないか。大好きなものを食べて自分を甘やかす。大股で散歩をして気分を変える。嬉しかった写真を見返してしあわせに触れる。玉置浩二の『田園』を聴く。あったかいお風呂で体も胸もあたためる……。そうすると、明日こそきっといい日になると思える。明るく明日を迎えられると思う。そうやって、1日1日を積み重ねていくしかないのだ。生きていくんだ。それでいいんだ。
もちろん、すごくすごく嬉しいメールもたくさんいただいた。
一文一文を、ひと文字ひと文字を、きっと他人よりも深く深く受け止めてしまうわたしなのだけれど、そのぶん、ありがたい言葉をいただいたときの喜びも大きい。そしてそれをわたしはずっとずっと忘れない。いつまでも舌の上で飴玉を転がし続けるように、ひとつひとつ大事に大事に味わう。大切にする。そんな「わたし」は、これからだってずっとずっと続けていこうと思う。
つらいときは、やっぱり『田園』を聴くに限るなあと改めて思う。生きていくんだ。それでいいんだ。ちなみに朝の散歩で聴く音楽の第2候補として、V6の『愛なんだ』もかなり好ましいなあと考えていたのだけれど、よく考えてみれば『愛なんだ』も玉置浩二による作曲であった。結局、すべて玉置浩二なのだ。
紅白で久々に見た玉置浩二さんは、最早なんだか神様のようだった。
「いつもありがとうございます」と拝んでおいた。
※これはエッセイではなく、あくまで紙に書いているつもりの「日記」です。
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